赤い靴

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【3歳の3月3日】

 

 

3歳の3月、ワタシは日本舞踊を習いはじめた。

両親はワタシを〝花柳流の名取〟にして〈大和撫子〉にして育て上げたかったようである。

その裏には〝バタくさい派手な顔〟をして〝ハイカラ〟だった、母の願い(憧れ♡)が強くあったようだ。

 

3歳の初舞台は〈かぐや姫〉
白塗り前の下地…なんだかロウのようなネットリしたもの…それを顔に擦り付けて伸ばされるのが、痛くてヤだった。

ハケでペタペタ白塗りされるのは、気持ちイかった。

ヅラや高価な衣装は、重くてヤだった。

スポットライトと拍手は、気持ちイかった。

 

 

 

小学校に上がるとテレビドラマ【赤い靴】で〈バレエ〉と遭遇!

両親に頼み込み、習いはじめる。

父は「そんな西洋の踊り♪ 日本人がやっても大成せん!」と言って反対した。

日本舞踊の発表会は毎回8ミリ(現在のビデオね)を回してくれたけど、バレエの舞台は1度も観に来てくれなかった。

 

ほどなくして、森下洋子さん(広島県出身)が世界のバレエコンクールで金賞を受賞した。

「日本人でも出来たじゃん!」と、エラソげに父に言ってやったのを覚えている(笑)

 

 

【赤い靴】ではなかったけど【ピンクの靴】は何足も履き潰した。

大人になってからは【黒い靴】や【青い靴】も履いたけど、ついに【赤い靴】は履かなかったな…

 

 

ワタシの洋舞人生は〈バレエ〉→〈ジャズダンス〉→〈モダンバレエ〉→〈ストリートダンス〉→〈コンテンポラリーダンス〉と、ほんの数年前まで続く…

 

家庭・身体・精神…諸事情によりダンスと離れる。

 

やめた途端、長年ダンスしかしていなかったワタシには何も残らなかった。何もなかった。

一人息子も成長していたし…「ワタシは生きている意味があるのだろうか?」とさえ思った。

 

 

ヤサグレた日々を半年過ごす。

 

ふと気付くと…プニプニした身体…

『おーまいがっ!』
『なんじゃ こりゃーーーー!!』

松田優作バリに絶叫!!!

 

「こんなのワタシの身体ぢゃない…(T_T)」

 

 

そこからワタシのジム通いが始まる。

脂肪が落ちると同時に、ワタシの不安やイライラ…色んなものが削ぎ落とされたように思う。

 

身体と心(脳)はイコール。

 

何か異変を感じたら、どっちからでもいいので整えてやる。

取り組みやすい方からトレーニングしてやる。

 

 

ジムに通い始めて数ヶ月…身体も締まってきた頃【アクティブ・ブレイン・セミナー】に出会う。

 

今 考えると、ワタシにとって〈そのとき〉が〈あのとき♡〉だったのである。

ワタシ自身が何か変わろう!とジムに通い、さらに何かを求め続けていたからこそ【アクティブ】に出会ったのである。

 

一瞬たりとも早からず、遅からず。
そこから ひたすら走り続ける。

一つの【夢】が叶ったら、次の【夢】へ向かって進む。

 

 

踊ること♪…踊っている自分も気持ちいいけど、観てくれる人が楽しい気分♪になってくれるのがワタシのヨロコビだった。

「ゆうかさんの踊り♪観てたら元気なった!」って言われることが1番のヨロコビだった。

 

ワタシにとって、踊りもセミナーも同じ。

 

 

自己満足…マスターベーションで終わることなく、相手が気持ち良くなってくれないことにはイミがない。

どーにかして、受講生さんを気持ちヨクして差し上げたい!

 

 

明日 11/7(土) はつかいちにお越し下さる皆さまには、トコトン気持ちヨクなっていただきます!!

 

小田全宏先生による【問題解決プログラム】→【懇親会】まで、存分に楽しんでいただきましょう♪

なんだったら【懇親会】のための【問題解決プログラム】ぐらいの勢いでっッ♪♪

 

ある意味、コレ正解!

 

しっかり【問題解決】できるからこそビールが旨いのであ〜〜る!♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪

 

 

今日も楽しい。
明日はもっと楽しい。

 

*長文 お付き合いくださり、ありがとうございます。 何のために明日のセミナーをするのだろう?…という自分自身への確認をしたら、こんな文になってしまった。てへへ(#^.^#)